写真は加藤さん。本当はぼくより年下なのだが、『部長』と呼びたくなる風格がある。
東京で事務系の仕事をやっているという。
なぜギークハウス真庭へ遊びに来る気になったのか、まずは気になった。
聞けば、ギークハウスの住人の自由な生き方に憧れて遠路東京からやってきたのだという。
ギークハウスの住人といっても働いている人もいるけど、
この時のギークハウス真庭の住人はフリーターの群れのようなものだから、あながち外れではなかったかもしれない。
「なぜギークハウスなのか?」という問いは「なぜあなたは今も会社で働いているんですか?」という問いに似ている。
「働くこと」が「生きること」だと思っている人はいっぱいいる。
でも、ちょっとだけ考えてみてほしい。
満員電車に揺られて都内へと仕事に行き、また満員電車に揺られて帰ってくる。
会社ではソリの合わない上司に叱られ、日々の業務に忙殺されていくうちにふと「あれ?」って思う瞬間があるかもしれない。
「おれは本当にこのまま会社勤めをしていて良いのだろうか・・・」
「もしかしたら違った生き方があるのかもしれない。」
そう思うかもしれない。
加藤君は(やっと君と書けた。)東海地方出身だという。
田舎の方なのか、都会の方なのかそれは分からないけど、大雑把にいって地方の出身。
東京はおそらくそんな人達でいっぱいだ。
少し前に『夜空はいつでも最高密度の青色だ』という映画を見たのだけど、
東京っていう街にはそれだけの魅力があるのかもしれない。
出身がどこであれ、そこに集まることに意味があって色んな目的を持った人が生活してる。
加藤君はそういった生活に少し疲れたのかもしれない。
東京という大都市で消耗度の高い生活をしていればムリもない話。
きっとギークハウス真庭に行くことは、彼にとっては大きな賭けだったんじゃないだろうか。
これからの人生を選択する上で。
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